(第七回)
~それでも不満は出るのです~
(不定期連載記事「あァ、ときめきの病院飯」の第七回めになります。
その前段として、よろしければこちらの記事↓もご参照下さい)
koumemylove4794.hatenablog.com
ともすれば、変わり映えのしない「退屈する暇もないくらいに退屈」そのものである
病院への入院生活と過ぎてゆく日々……
そんな毎日を決して無為なものではなく、可能な限りカラフルに染め上げてくれることで
患者一人一人の完治への意欲と退院後へのビジョンを持たせてくれる病院食。
僕もまた、しっかりその恩恵に与りつつ、気が付けば毎日のエンターテイメントとして
食事の到着を楽しみに待つ心の余裕も生んでもらえたと思っています。

(画像はGrokによるAI生成)
とは言え、人間っていうのは贅沢と言うか図々しくデキているもので……
食べ始めた当初はその予想外の旨さと、限られた条件下の中に込められていた目いっぱいの
サービス精神の発露に感動さえ覚えていた僕なのですが、だんだんそれに舌と体、それに心が
「慣れて」くるにつれ、罰当たりにも(まったく!)そんな病院食に対する不満めいたものも
ぼちぼち心の中で芽生えてくるようになりまして。

(画像はGrokによるAI生成)
まず最初にお断りしておかねばならない大前提、と言いますか厳然たるひとつの事実として
いくらエンターテイメント性に富み、単調な入院生活を華やげてくれるとは言いましても
その本質において病院食は「食のエンターテイメント」そのものには決して成りえず、むしろ
薬品などの投与などと同じ「患者への治療の一環」である、ということ、
だからこそ朝、昼、晩の三回に分けて供される様々な料理の中に、凄く自分好みのものがあって
そればかりをもっと食べたい! と思っても、入院患者のその希望が叶えられることは絶対に、と
言って良いほどに有り得ないことなのです――
そう、だからこそ入院患者は病院食を残して看護師さんに心配されたり窘められることはあっても
そんな病院食やおかずの増量を願いでることはできません(つまりお代わりが出来ない)し、
また特定のメニューだけを自分の好むで選んで食べ続けることも、毎日三度の食事メニューに対して
そもそも異議を申し立てることも出来ません。
ただ粛々と、運ばれてきた食事を、それらを届けてくれたすべての方々に感謝しつつ
口に運んで吞み込んでいくしかないわけです、
この状況を、例えば刑務所内の食事に例えてはあまりにも病院サイドに失礼であるとは
重々承知しつつ……けれどもこれもまた、日々の不摂生に対しての「償い」には違いないよなぁ、と
そんなことにまで思いを巡らせてしまったり。
だから、アレですよホラ。
「好きなときに、好きなものを」って言う牛丼チェーン店「すき家」さんのCMの惹句、
あれなんかは入院中の病室のTVで見てて(聞いてて)辛かったぁ~。
その後に来るであろう「好きなだけ」と言うフレーズまでもを含めて、入院中の僕には
そのどれも許されていない高値の花だったもんですからね(苦笑)。たはは。

(画像はGrokによるAI生成)
で、内心だけで密かにそんなブーをたれつつも、やはり毎日三回の決められた時間に
食事が運ばれてくると心はときめいてしまいますし、それらを口にした際には間違いなく
心も舌もときめいて、はしゃいでしまうわけですよ――
もうね、給食配膳のワゴン車は廊下を往く音だけで分かるッ(爆笑)!!
それじゃ、例によって行ってみましょう。
●11月6日(木曜日)
(朝)
〇ご飯 〇わかめの味噌汁
〇金山寺みそ(スティックタイプ)
〇一口大の玉子焼+ビニールパックの醤油
〇かまぼこ、キャベツ、人参の煮つけ
〇紙パックの牛乳・200ml
我が家の傾向ですと食卓に挙がること自体がまずない食材なもんで、そういう意味で
「おおっ!」と物珍しく、新鮮に感じたこの金山寺みそ。
海苔の佃煮と言い、ふりかけ核種を言い、手を変え品を変えて毎日の朝食の色どりを
より華やかなものにしようという気づかいは、やはり食べる側のことを第一に考えてくれている
エンターテイメント精神の極めて健全な発露で、ただ感謝あるのみです。
(昼)
〇ご飯
〇里芋のオイスターソース(?)和え
〇鶏ソテーのトマトソースがけ、茹でブロッコリー添え
〇カニカマとパプリカの和え物・冷製
〇缶フルーツ(洋梨)
(夜)
〇ご飯 〇麩の味噌汁
〇大根と大根葉の和え物(冷製)
〇鮭のほぐし焼き、キャベツと人参の煮つけ添え
〇かまぼことインゲン豆の味噌炒め

(画像はGrokによるAI生成)
そんなこんななこの日の食事の中で、僕がもっとも個人的にテンションを上げさせられたのは
夕飯として出された「鮭のほぐし焼き」。
入院時からこの日まで、病院食における焼き魚と言えばもっぱら白身魚のほぐし焼きが主で
僕自身「まぁそんなものだろう」と思い、これはこれで旨いので受け入れていたところに来て
旨味の豊かさが段違いな鮭が出てきた際の心地よい衝撃ときたら、もう!!
さすが「食卓における魚能様」と呼ばれるだけのことはある、と再認識でした。
入院前は何気なく「食べ流して」いた、ありふれている食材の一つだっただけあって
なおさらその真価を知り得たことへの悦びも感謝も大きかったんだと思います。
そして、この誰徳記事(笑)を読んで下さっている皆様にも心から感謝しつつ……
この続きは、また次回の講釈で!





